ドラゴン桜の著者推薦というつながりから知った、「親力」という本。メルマガに登録して、著者の親野 智可等さんの講演が静岡であると知って、先日の青春18切符で行ってきました。
行きの列車で途中読みだったのをすべて読み切り、良い気分で講演に望みました。おかげでとても共感できました。トイレに地図を貼ったりカルタをやったりと、楽しみにながら勉強する「楽勉」というキーワードはしごくもっともで納得です。
思い起こせば、自分は小さい頃、レゴブロックで合体式の宇宙船を作ったり、おにぎり探偵団という推理ゲームを弟とやっていたので、理系になったのではないかという気が昔からしています。
楽しく、改めて勉強しなくて賢くなる、というのはすばらしいです。
また、苦手なことより得意なことをほめてのばす、これだそうです。例えば苦手な整理整頓を、子どものうちならと、必死に注意して直そうとしても、絶対無理だそうです。確信を持っておっしゃっていました。
子どもは、大人とは比べものにならないほど、得意なことを伸ばせます。しかし苦手なことを克服させようと、同じことで毎日叱ったりすると、親子関係に深刻な影を落としてしまうとのこと。
苦手なことはむしろ大人になって、自分が心から強く思った時に、直せるそうです。
確かにそんな気がします。。。
講演でもお話ししていたエピソードがブログにありましたので、興味のある方はご一読下さい

こんにちは。本日はお疲れ様でした。さて、電話で話していたこの記事に関するコメントですが、同じような話を、昨年お亡くなりになられた、元中日ドラゴンズ監督の近藤貞雄さんが著書に書いていました。昭和56年にドラゴンズ監督になったとき、名商大から投手として入団後、外野手に転向しても芽が出ず、前年シーズン後クビになりかけた、四年目の選手がいました。球団にその選手を残すよう進言した近藤監督は、その選手のある長所を買っていました。彼は、バッティングは全然ダメながら、俊足で強肩だったのです。(続く)
(続き)そこで右打ちの彼をスイッチヒッターにして、ハナから打撃は期待できないので、とにかくバントの練習をさせました。そうして2番バッターとしてセンターのポジションを獲得し、優勝した昭和57年には年間51犠打の、当時の日本記録をうちたてました。バッティングは素質の占める部分が大きいのですが、レギュラーとして盗塁王にもなった彼は、その後苦手だったバッティングにも努力して取り組むようになり、打率3割を2度記録する名選手となりました。(続く)
(続き)ドラゴンズファンならここで誰かすぐにわかるでしょうが、そうでないプロ野球ファンも、後に西武にトレードされ、西武の黄金時代を支えた名2番打者といえばおわかりでしょう。後にロッテでヘッドコーチを務め、昨年の日本ハムの日本一に、外野守備・走塁コーチとして貢献した平野謙さんです。近藤貞雄さんは、まず平野選手の長所である足の速さと強肩に注目し、レギュラーとして起用して徹底的に良いところを伸ばしました。元名投手コーチとして永年指導していく中で、それが一番良い方法だと経験で会得したからだそうです。(続く)
(続き)誰かを指導する立場になったとき、たとえばノーコンだけどものすごいスピードボールを投げる投手を教える場合、往々にして全力で投げずに、力を加減してコントロールを良くするような指導してしまい、結果としてコントロールもスピードも中途半端な並みのピッチャーを育ててしまいがちになるそうです。小さい頃からエースで4番みたいな選手たちが集まっているプロ野球の世界では、そんな投手は通用しません。むしろ、ノーコンでもストライクゾーンにきたらストレートと分かっていても打てない投手の方が成功するのです。(続く)—–
(続き)それが近藤貞雄さんのかつての教え子たちである、小松辰雄さんや村田兆治さんです。彼らはスピードボールという長所を徹底的に伸ばした結果、プロの世界でご飯が食べられるようになりました。その後、更に成長するために、自分の意思でコントロールという苦手分野に取り組み、制球力を磨き最多勝のタイトルを取り、球界を代表するエースになりました。近藤貞雄さんによれば、短所を長所ぐらいに伸ばそうとして結果それなりに克服しても、肝心の長所を磨く努力がなおざりになり、結果どれも平均的で何の特徴のない選手に育ってしまうそうです。逆に長所を徹底的に伸ばしてやると、今度は自主的に短所を直すよう努力し、結果高いレベルでバランスのとれた名選手が育つとの事でした。今回の「親力」の記事には大変納得しました。これからの記事も楽しみにしております!
近藤監督って、すごい人だったんですね。小学生ぐらいだった当時が、一番野球を一生懸命観ていた記憶があります。「いちばん、た~おば塁に出て~、に~ばん平野がおっくりバント!」って今でも歌えるのはこの時期くらいでしょうか…。平野が首になりかけていたとは知りませんでした。貴重なエピソードありがとうございました!
駆け出しの頃の平野は、今のドラゴンズでいうと英智みたいな選手でしたね。彼も名城大時代はピッチャーで、外野手の今でも140キロ代後半のスピードボールを投げられるみたいです。なかなかバットにボールが当たらない選手ですが、ツボにはまると大きなホームランも打てる選手で、潜在能力はすごいものがあります。俊足強肩は折り紙つきの選手なので、30代にはなったのですが、もう一皮むけたらすごい選手になると思います。もっとも、そうならない選手が大半なんですが。今年も機会があれば、ナゴヤドームにご一緒しましょう!